漢字教育士ひろりんの書斎くつろぎのソファ>
2020.1.  掲載

 巨大イエバエの怪

 言うまでもなく、以下に記すことは事実であってフィクションではない。しかし、自分で目撃したことではあるが、実際にそんなものが存在したと信じることには困難を感じる。つまり、過去の自分が体験したことの記憶について、今の私は全面的に信じることはできないのである。となると、以下の記録は、私のあやふやな「記憶」に忠実に書き起こしたものにすぎないということになるが、後述のとおり、私の兄も一緒に目撃し、同じ記憶を持っている。二人の人間が同じものを見たと同じ証言をしているのだから、一人の場合よりその信憑性は格段に増すだろう。というわけで、私がありもしない幻影を見たのでないとしたら、この体験を後世に伝える価値はあるだろうと考えて、この手記を書いた次第である。

 私が小学校低学年のころ、つまり1960年前後の話である。場所は、大阪市東住吉区、近鉄南大阪線の針中野駅から北へ300mほどのところにあったガード下である。現在、同線のこの辺りは高架となっているが、当時は盛り土の上を線路がとおり、ガード部分は、この土手を掘り下げるような形で道を通していた。幅4mほどの、車もほとんど通らない狭い道である。(たしか、ガード下でジャンプして、上端に触れるかどうかという遊びもしていたので、路面からの高さはせいぜい2mほどだったと思う)
 このガードを通る道をまっすぐ行けば、当時通っていた小学校に行けるため、私たちにとっては通り慣れたルートである。あの日は夏休みだったと思うが、この道は行きつけの菓子屋や本屋のある駒川商店街への道でもあるので、兄(3学年違い)と二人でどこかへ出かけるために、このガードにやってきた。
 ガードに近づいたときから、異様な雰囲気はあった。何もないはずのガード下に、大勢(といっても4~5人か)の人が立ち、上を見つめている。そこにいたのが、巨大な蠅である。
 姿かたちはありふれた蠅と全く同じである。背中を下にして天井に止まり、前足をすり合わせたりするしぐさもおなじみの蠅である。ただ、大きさが全く違う。その時は、なにしろ子どもなので、また気が動転していたので、直後に「こ~んなにでっかい蠅」と親に報告した時の両手の幅は70cmぐらいもあったと思う。しかし今、冷静に思い返しても、体長50cmは確かにあった。
 蠅は、ガード下のやじ馬たちには頓着せず、落ち着いているように見えた。背中に縦じま模様があるので、あとで調べるとイエバエの仲間のようだった。この時兄は、この蠅を捕まえると言って、捕虫網を取りに家に戻った。走って行ったので3分もあれば戻ってこられる距離だったが、その間に、蠅は西南の方角へ飛び去ってしまった。飛行速度は体長にふさわしく普通の蠅よりずっと速く、あっという間に風呂屋の屋根を超えて見えなくなった。一足違いで戻ってきた兄が持っていた網は直径30cmぐらいのもので、これではとても捕まえられなかっただろうと思ったことを覚えている。
 その後二人は興奮して、親や弟、友人たちに話して回ったが、証拠がないので相手にされない。それでも、二人の間では、折に触れて、あれは本当にあったことだと確認しあい、今日に至っている。今回も、この文の原稿を兄に見せて、互いの記憶の内容に齟齬がないことを確認している。ちなみに二人とも理科系の大学・大学院を出ており、怪力乱神の類は信じないタイプの人間である。

 ここまで読まれた方は、数々の疑問を持たれただろう。そんなに大きな蠅がどうして生まれたのか。1匹だけでほかにいなかったのか。どこから飛んできたのか。幼虫(つまりウジ)も大きいのか。他にも目撃者がいただろうに、マスコミで話題にならなかったのか。
 また、「羽の長さも長いのなら、通常の蠅と同じ速さ(1秒当たりの回数)で羽ばたけるはずがない。」や「昆虫は気管呼吸であり、体が大きくなると酸素が内部まで取り入れられないので、大型化はできない」といった専門的な異論もあるだろう。
 これらの疑問は私も理解できる。もし誰か他人が見たと言い張るのなら、これらの理屈をあげて馬鹿にするかもしれない。しかし私たちは見てしまったのである。丹波哲郎ではないが、「見たんだからしょうがない」と言うしかない。

 初めに書いたように、自分が目撃したことが事実かどうか自分で信じられないというのは気持ちの良いものではない。だからこそ、成長ののちはあまり人にこの話をすることができなかった。今の子どものようにスマホを持ち歩いていたら、と思っても詮方ない。願わくは、あの時一緒にやじ馬として見物していた方々に、名乗り出ていただければと思う。